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アブサロムの謀反
説教要約「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」第1サムエル16章7節 [聖書]2サムエル15:1-10 本章に登場する中心人物のアブサロムは、ダビデの三男で、政略結婚で妻としたゲシュルの王タルマイの娘マアカから生まれた子です。すでに、ダビデの大罪については、先週お話しし、彼の罪のゆえに後々、その咎を負うようになることを預言者ナタンによって告げられていました。このアブサロムは、ダビデの長男アムノンが妹のタマルを陵辱したことに恨みを持ち、父ダビデを騙し、義理の兄を殺してしまうことが13章に記されています。なんと兄弟で陵辱、殺人が行われたのです。こうした中で、アブサロムは徐々に力を掌握し、民にへつらい、民の心を盗み、父... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち195
アントニオいのち主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。(詩篇19篇7節) 「主の教えは完全」とは、英語では、<The law of the Lord is perfect.>とあり、それは文字に記された神のことばである「律法」(トーラー)を意味します。この19篇のダビデの賛歌は、冒頭の1節において「天は神の栄光を語り告げ」とあるように、自然界における神の創造の御業と力、そして7節に続く律法のことばとが、相互の関係によって、はっきりと知ることができると詩人は主なる神を讃えるのです。つい最近知ったことですが、かつて重度の精神疾患で苦しんでいたご夫妻が、友人を通してキリスト信仰に導かれ、二人とも病が完全に癒やされ、やがてご主人は牧師にな... -
ダビデの大罪に学ぶ
説教要約ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。」第二サムエル12章7節 まずは、箴言の16章2節を心に留めましょう。「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる」とあります。私たち人間は、気付かぬうちに自分のことを棚に上げて、人の失敗や弱さを中傷し、自分の正しさを主張する傾向があります。目が自分の内側に向いている人は幸いです。それはまさに心の貧しい者は幸いです」と仰せられた主の祝福です。昨日の通読箇所の11章からは、ダビデの大失敗と大罪が如実に記されています。『みことばの光』の執筆者は、「姦淫、偽り、欺き、殺人教唆、略奪など、坂道を転がり落ちるように周囲を巻き込んだ大罪を犯した」と記しています。それは... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち194
アントニオいのち高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。(箴言16:18) 昨日のニュースで青森選出の国会議員が元秘書にパワーハラスメントで訴えられ、謝罪コメントを発表するという出来事が報じられました。その内容の一部として、車の移動で赤信号の際、「時間がもったいないから行ってしまえ」とか、暴言を吐きながら、後ろから運転席を叩くというもので、元秘書は体調を崩し、5日間で退職したと言うのです。国会議員のパワハラ問題は何度も報道されてきたことです。本当に情けなく思います。冒頭に掲げた聖書の格言は、私たちが肝に銘じなければならない教訓です。同じ箴言に、「へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる」(16:19)とあ... -
主を知るということ
説教要約ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立たせて、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。第二サムエル5章12節 [聖書]2サムエル5:1-12 先週、私は説教協力で勝利兄と一緒に仙台の泉パークタウン教会に行ってまいりました。写真は教会の中心メンバーで、これに2倍くらいの人たちと、ZOOMで6名の方々が礼拝に参加され、祝福された礼拝となりました。「教会」それは、キリストのからだであり、各部分がつなぎ合わされて一つとされています。イスラエルの民が神にあって一つであるように、キリスト者は、イエス・キリストにあって一つです。本日は、このことを覚え、教会に与えられた使命を再確認し、私たちが今為すべきことを教えていた... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち193
アントニオいのち怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。(エペソ4:26) これは、使徒パウロが紀元61年頃にローマの獄中からエペソを中心に小アジアの諸教会に宛てて書いた「獄中書簡」と言われる手紙の中のみことばです。キリスト者が信仰生活において心がけるべき勧告です。怒りは争いを引き起こし、分裂、分断をもたらします。パウロはこの手紙で、「あなたがたが霊と心において新しくされ続け、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」と述べ、「ですから」(だから)、「怒っても、罪を犯してはならない」と勧告しているのです。かつては激しやすい性格だったという信仰の先輩が、このみことばに教えられ、怒っても決して翌日には持ち越さ... -
神を信じて生きるとは
説教要約聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ローマ10章11節 聖書箇所/第一サムエル31章1節〜13節 本日は第一サムエルの最後の章から、主に油を注がれて王になったサウルと、主に愛された息子のヨナタンと二人の兄弟たち、サウル王一家の悲惨な最期から考え学ばせていただきます。虚しく響く記事(節)の一つひとつに、このサムエル記全体に登場する一人ひとりの言動とその結末の集大成のようなものを覚えさせられ、彼らが登場する場面場面で、私ならどうしていただろうかと考えさせられます。つまり、神に信頼して行動するその信仰とはどんなことなのかということです。 1.登場人物のその信仰によって これまでも繰り返し確認しま... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち192
アントニオいのち聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11) 「この方」とは、十字架の死と復活によって、私たちを罪の滅びから贖い出してくださったキリストを指しています。 また旧約聖書の詩篇において、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」と歌われています。これは「真実な神のみことば」を指しています。昨年6月、青森において写真愛好家の70代のご夫妻が、山菜取りで入山して遭難し、懸命な捜索もむなしく、一週間後にご遺体で発見されました。山に詳しく、山菜取りのベテランとのことでした。私自身もまた、道に迷うことがしばしばあります。けれども、「聖書のことば」がわが道の光となり、私を助け出してく... -
あのとき彼がいなかったら
説教要約ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。」第一サムエルニ5章14節 『ぶれない信仰』と年間テーマを掲げ、「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」との聖句で半年を経過しました。私たちは今、試みられています。私自身の生き方が今一度厳しく問われているところです。しかし、幸いなことに、主からの慰めと励ましがあり、信仰の希望は少しも変わりません。私たちの人生には、「もし、このことがなかったら、あのことがなかったら」と、思い悩むことがよくあることです。私自身は、本日の週報の『いのちのパン』に掲載しましたが、詩篇73... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち191
アントニオいのち「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」(詩篇73:24) この詩篇のみことばは、今から38年前のお正月に、京都のビジネスホテルの一室で、キリスト者として神学校への献身を求め、主のみこころを求めて祈っていたときに、閃きのように与えられたものです。あれからすでに38年が経過しました。37歳で神学校を卒業し、ふるさと青森で伝道者としての働きを始め、68歳のときに妻に先立たれ、70を過ぎた今も現役として働きを続けています。愚かで失敗だらけの牧会生活ですが、苦難の中にあるとき、不思議とこのみことばに戻され、「主が私を諭して導き、栄光のうちに受け入れてくださる」という確信が与えられるのです。残された人生があとどれ...