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倍増する力と喜び
一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。伝道者4章12節 [聖書]伝道者4:7〜12 私たちは今、伝道者の書を通読し、賢者ソロモンの人生経験から、神なき人生の空しさと神を信頼する者の恵みと力についての教訓を学ばせていただいております。先週も水曜夜の聖書研究祈祷会において伝道者の書3章から学び、ともに近況と祈りの課題を分かち合い、『祈りの手帳』を通して、兄弟姉妹のために祈り合うことが出来ました。使徒パウロは、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい」(ローマ12:15)とキリスト者の生き様を奨励しています。私たち教会の一人ひとりは、一つのキリストのからだを形成し、一人ひとりがそのからだの... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち251
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるに時があり、死ぬのに時がある。(伝道者3章1節-2節a) 昔、米国のピート・シーガーと言うフォーク歌手が伝道者の書3:1をもとに『Turn! Turn! Turn! 』というリフレインを入れて歌ったフォークソングを今でも覚えています。その歌い出しは、To everything (turn, turn, turn)There is a season (turn, turn, turn)で、「すべての事には時があり、季節は巡る」というのです。(turn, turn, turn)は、「巡る」というニュアンスです。つまり、この聖句にある「誕生と死」という、人の人生でさえ「天の下」、つまり、神の御手の中で事がなされると言うのです。 しかし、これは... -
あふれる主の恵みによって
私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。第1テモテ1章14節 [聖書]第1テモテ1:12-20 みなさんとは半月ぶりの再会となります。私たちの夏季休暇の間、二週に渡って『賛美&証し礼拝』を行なっていただきました。私たちは、初回は北上聖書バプテスト教会(保主バプテスト)の教会で礼拝を守り、先週は小湊キリスト教会(同盟教団)で礼拝を守らせていただきました。二週間に渡る車での旅で1800キロを走行しました。背後の祈りにも支えられて、私たちの思いを超えた主の導きがあり、120%の恵みと祝福を味合わせていただきました。 特に優子さんのご親戚とご両親との交わりは神の愛に包まれて、喜びにあふれる時間でした。愛もまこと... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち250
“主はあわれみ深く情け深い。怒るのに遅く 恵み豊である。”(詩篇103:8) ダビデ(詩人)は、神の本質的なご性質を思い起こしながら、その溢れるばかりの恵みを感謝し賛美しています。「あわれみ深く」とは、母親が子を抱きしめるような、深いあわれみと優しさを表すことばです。「怒るのに遅く」とは、神の寛大な性質を意味し、私たちに回復のチャンスを与えておられるのです。「恵み豊か」とは、旧約聖書全体で神の本質を意味する「ヘセド」(愛、慈しみ、まこと、誠実)を表し、神の愛が尽きないことを強調しているのです。それは、心貧しく愚かなこの私にも、溢れるように注がれる神の愛と恵みです。私は、毎日、目覚めてすぐに、天の父なる神と御子イエスの十字架の恵みを覚え... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち249
主の教えは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。(詩篇19:7) 私は今、夏季休暇中で、北国青森から関東へ車で移動しながら、導かれる先々で、主のみことばの真実を証しさせていただいています。また、新たな出会いの中で、一人ひとりの尊いいのちが主の御手の中にあって生かされていることを覚えさせていただいています。冒頭の聖句の「主の教え」とは、律法(トーラー)を意味し、私たちを主の道へと導き、心を新に、内面から生き返らせ、たましいを潤す完全な力があるというのです。続く「証し」とは、主のみことばによるさとしのことです。神のことばは真実で確実です。私のように愚かな者でも、この絶対的主権を持っておられる神のことばを... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち248
悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みがその人を囲んでいる。(詩篇32:10) この聖句は、『悔い改めの七つの詩篇』(6,32,38,51,102,130,143)と呼ばれるもの2番目です。神の前に自らの罪を悔い、赦しと恵みを与えられた者として、信仰の教訓を歌っているのです。この聖句は、ダビデ自身が体験したことであり、「多くの痛み」(直訳) とは、嘆きと悲しみ、不安と恐れに心が支配されることです。しかし、罪を悔い改め、神を信頼するならば、「神の恵みがその人を取り囲む」というのです。神の恵みとは、苦しみからの解放であり、滅びからの救いを意味します。このところ私は、信頼関係を損なう出来事を連続で経験し、失意落胆していました。そんなとき、私自... -
主の尽きないあわれみ
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。第2列王13章23節 [聖書] II列王記13:14〜23 本日の箇所は、エフーの孫ヨアシュが12代目の王であった紀元前800年頃の出来事です。日本なら縄文時代晩期にあたり、まだ国家がなく、小規模な集落が各地に点在していたと言う時代です。指導者はいましたが、イスラエルのような国を統率し導くような王はなく、祭祀や経験に優れた人物がその役割を果たしていたと伝えられています。 先週、私たちはお盆の時を、私たちの存在のルーツである親やご先祖のことを思いながら過ごしました。私たちが、今こうし... -
神の計画と絶対的主権
これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。イザヤ43章13節 [聖書] II列王記9:1-13 私が特定の方々に配信している先週金曜日の「今朝のみことば」に、イザヤ43章13節の聖句を引用して、今私たちが通読しているⅡ列王記の解説をさせていただきました。それは、人知を超えた神の計画とその働きに、神の絶対的主権を私たちは知ることができるということです。神に背き、偶像に浸るイスラエルの王たちに、再三、エリシャは悔い改めて神に立ち返るべきことを伝え、神の怒りとそのさばきを告げるのですが、彼らはいっこうに耳を傾けようとはせず、結局のところ、エリシャのことば通り、神のさばきに触れ、自ら... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち246
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31b) 私たちクリスチャンは、十字架の死と復活のキリスト・イエスを信じ、新しいいのちに生きる者とされました。それゆえに私たちは日々キリストの御霊に導かれ、神の子としての人生を歩んでいるのです。しかし、私たちをこの恵みから引き離そうとするサタンが、あらゆる方法で私たちを試み、罪に陥れようと策略を講じています。 私たちは、自分で良かれと思うことから、神から離れて行動し、失敗することが多々あります。私たちが神から離れて行動することを一番喜ぶのは悪魔であるサタンです。けれども、私たちの一番の敵は、自分の中にひょっこり現れる不信仰なのです。冒頭の聖句の前節に、「神はあ... -
預言者の信仰と権威
こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔てて、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。第二列王記2章11節 [聖書] II列王記2:1-25 『みことばの光』による聖書通読は、ホセア書から第二列王記に移りました。 私たちは、先月の12日まで第一列王記を学び、預言者エリヤの行動的、かつ大胆な信仰から、「行いによる信仰」、つまり実践神学を学びました。それは、私たちの年間主題である『自らを献げる信仰』に通じるものです。 先週水曜夜の祈祷会では、ホセア最後の14章から、神の怒りと審判は常に愛に基づく民との契約関係にあることを学ばせていただきました。そして、教会の宣教も、私たちの信仰生活も、そ...