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◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち248
悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みがその人を囲んでいる。(詩篇32:10) この聖句は、『悔い改めの七つの詩篇』(6,32,38,51,102,130,143)と呼ばれるもの2番目です。神の前に自らの罪を悔い、赦しと恵みを与えられた者として、信仰の教訓を歌っているのです。この聖句は、ダビデ自身が体験したことであり、「多くの痛み」(直訳) とは、嘆きと悲しみ、不安と恐れに心が支配されることです。しかし、罪を悔い改め、神を信頼するならば、「神の恵みがその人を取り囲む」というのです。神の恵みとは、苦しみからの解放であり、滅びからの救いを意味します。このところ私は、信頼関係を損なう出来事を連続で経験し、失意落胆していました。そんなとき、私自... -
主の尽きないあわれみ
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。第2列王13章23節 [聖書] II列王記13:14〜23 本日の箇所は、エフーの孫ヨアシュが12代目の王であった紀元前800年頃の出来事です。日本なら縄文時代晩期にあたり、まだ国家がなく、小規模な集落が各地に点在していたと言う時代です。指導者はいましたが、イスラエルのような国を統率し導くような王はなく、祭祀や経験に優れた人物がその役割を果たしていたと伝えられています。 先週、私たちはお盆の時を、私たちの存在のルーツである親やご先祖のことを思いながら過ごしました。私たちが、今こうし... -
神の計画と絶対的主権
これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。イザヤ43章13節 [聖書] II列王記9:1-13 私が特定の方々に配信している先週金曜日の「今朝のみことば」に、イザヤ43章13節の聖句を引用して、今私たちが通読しているⅡ列王記の解説をさせていただきました。それは、人知を超えた神の計画とその働きに、神の絶対的主権を私たちは知ることができるということです。神に背き、偶像に浸るイスラエルの王たちに、再三、エリシャは悔い改めて神に立ち返るべきことを伝え、神の怒りとそのさばきを告げるのですが、彼らはいっこうに耳を傾けようとはせず、結局のところ、エリシャのことば通り、神のさばきに触れ、自ら... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち246
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31b) 私たちクリスチャンは、十字架の死と復活のキリスト・イエスを信じ、新しいいのちに生きる者とされました。それゆえに私たちは日々キリストの御霊に導かれ、神の子としての人生を歩んでいるのです。しかし、私たちをこの恵みから引き離そうとするサタンが、あらゆる方法で私たちを試み、罪に陥れようと策略を講じています。 私たちは、自分で良かれと思うことから、神から離れて行動し、失敗することが多々あります。私たちが神から離れて行動することを一番喜ぶのは悪魔であるサタンです。けれども、私たちの一番の敵は、自分の中にひょっこり現れる不信仰なのです。冒頭の聖句の前節に、「神はあ... -
預言者の信仰と権威
こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔てて、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。第二列王記2章11節 [聖書] II列王記2:1-25 『みことばの光』による聖書通読は、ホセア書から第二列王記に移りました。 私たちは、先月の12日まで第一列王記を学び、預言者エリヤの行動的、かつ大胆な信仰から、「行いによる信仰」、つまり実践神学を学びました。それは、私たちの年間主題である『自らを献げる信仰』に通じるものです。 先週水曜夜の祈祷会では、ホセア最後の14章から、神の怒りと審判は常に愛に基づく民との契約関係にあることを学ばせていただきました。そして、教会の宣教も、私たちの信仰生活も、そ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち245
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28) この主イエスのことばは、「救い主の招き」と呼ばれ、このことばが語られてから現代に至るまでの二千年間、国を超え、言語を超え、世界中の人々に慰めと平安を与え、いのちの救いへと導いて来ました。 それは天地万物の創造者である神との新しい関係をもたらし、十字架の死に勝利されたキリストの復活のいのちにあずかる恵みと特権でもあります。この主イエスより、さらに千年さかのぼる時代に、イスラエルの統一王ダビデがその晩年、神と自分との関係を次のように歌いました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ ... -
背信の民への愛
あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。ホセア12章6節 [聖書]ホセア書11:1〜12 連日猛暑が続いています。先週は北海道の北見で39度を観測しました。 地球温暖化による異常気象は、社会現象としても様々な影響を与えています。「アーバンベア」の出没もその一つです。また世界中で戦争が勃発し、先進国においては経済戦争が行われているのです。一方、その陰では、貧困と飢餓によって多くの尊い命が失われているのです。今私たちが通読して学んでいるホセア書は、現代の私たちキリスト者と教会に対して語られているメッセージとして耳を傾けるべきです。神の民イスラエルが、偉大な神の愛と恵みを忘れ、カナンの偶像バアルに身を売り... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち244
“ 神にとって不可なことは一つもありません。”(ルカ1:37) 昭和の日本ロック界の草分け的存在で、後にクリスチャンになり、ゴスペルシンガーとなり、牧師になった故小坂忠さんの最後の曲に、『私は奇跡を信じる』があります。その歌詞に「私は信じる。今でも奇跡はあると」とあります。まさに彼がクリスチャンになること自体が奇跡でした。愛娘が幼い時、頭から熱湯をかぶり大火傷したとき、クリスチャンであった妻の祖母と教会の祈りによって奇跡の回復をし、彼もまたイエス・キリストを信じ、牧師にまでなってしまうのです。この私自身も、幼少時代、気管支炎や結核を患い、いつ死んでもおかしくなかった存在でした。しかし、クリスチャンの母の祈りで奇跡の回復をし、さらにはプロボ... -
主の愛とあわれみのゆえに
その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である主と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、主とその素晴らしさにおののく。ホセア書3章5節 [聖書]ホセア書3:1〜5 ホセアは、イスラエルのアッシリヤ捕囚直前の危機的時代の預言者です。 「涙の預言者」と言われたエレミヤが南ユダのために涙を流したように、ホセアは北王国イスラエルのために涙にむせぶ預言者です。当時のイスラエルは堕落の極みに達しており、もはや神の審判を免れ得ない状況にありました。 私が毎朝、特定の方々に配信している先週木曜朝の「今朝のみことば」で、この書の概観を次のように説明しています。ホセア1章の書き出しで、主はいきなりイスラエルの預言者ホセアに姦... -
苦難の時にこそ
あなたはモーセとアロンの手によって ご自分の民を 羊の群れのように導かれました。詩篇77篇20節 [聖書]詩篇 77:1-20 『みことばの光』による聖書通読は、第一列王記を終え、詩篇77篇に移りました。第一列王16章からアハブ王が登場し、最後の22章に至るまで、彼の22年間の様子が描かれていました。 シドンの王の娘を妻とし、イスラエルにバアル信仰を持ち込み、民を神から引き離し、バアルとまことの神と対決を平気で容認し戦わせるアハブ王には、狡猾で強引な面と性格的には幼児的で稚拙な面があることを聖書は記しています。彼がアラムの王ベン・ハダドと一戦を交える20章では、アハブの名前が消え、「イスラエルの王は」と記されています。こうしたアハブ王に関する七...