マッキー芦名– Author –
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恵みと祝福は主から
説教要約主は ご自分の民に力をお与えになる。主は ご自分の民を 平安をもって祝福される。 詩篇29篇11節 先週水曜夜の祈祷会で、堤長老から「恵みと祝福の違いはなんでしょう」という質問が、ある方の代弁としてなされ、ダビデの詩篇26篇を学びながら、出席者とともに考えてみました。そして、私がこれまで学んで来たことをお話しし、それをあらためて先週の「アントニオいのち」でも配信したのです。恵みと祝福を分けて考えることはとても大切なことだと思っています。ギリシャ語の辞書では「恵み」(カリス)は、「恵み深い行為、恩恵、恩寵であり、新約聖書では、神がキリストによって人類にもたらされた無償のギフトである」とあります。つまり、恵みはキリストの十字架によって与えら... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち154
アントニオいのち「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2-3) 昨夜の祈祷会で「恵みと祝福はどう違うの」という質問が出された。本当に純真な質問で、私も「う〜ん…」とうなずきながら、出席者とともに考え、私からは、恵みは旧約聖書の原語では「ヘセド」と言い、「愛、誠実、慈しみ、あわれみ、恵み」など神のご性質を表します。神は、御子イエスの十字架の贖いの御業で、この豊な恵みを私たちに与えてくださいました。これを新約の原語では「カリス」と言い、神がキリストによって人に与えたこの祝福が無償であることを「恵み」であると言い、「祝福」... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち153
アントニオいのち喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」(ローマ12:15) 「 このことばに続いて、パウロは「互いに一つ心となり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。」(新改訳2017)と続け、注意を促しています。ここにキリスト者が一つ心となる愛の交わりがあるのです。この「交わりなさい」は、新改訳第3版では「順応しなさい」と訳されており、原文は「スナパゴーマイ」で、「自身を順応させる、(身を低くして)〜と交わりを持つ」という意味があります。それはまさに、私たちの罪を一身に背負い十字架の道を歩まれたキリストの姿です。キリストの十字架によって罪贖われ、神の子とせられた私たち... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち152
アントニオいのち「高ぶりがあると、ただ争いを生じるだけ。」(箴言13:10) <Where there is strife, there is pride.> 私が愛読している『謙遜』というアンドリュー・マレーの著書の中に、「人の高ぶりこそキリストの贖いを必要とする最も大きな罪である」とあります。聖書は、高ぶりは争いを引き起こし、自らを破滅させるとも教えています(cf.詩篇16:18,18:12)。終末の様相を呈しているこの時代、キリスト教会の中にもヒタヒタとこの高ぶりが義人の姿を装って入り込んでいます。パウロは、1コリント13章で、「…あらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しい」と愛を強調し教えています。人の高ぶりには、その愛が欠落してい... -
主を求めて生きよ アモス5:1-15
説教要約善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。アモス5章14節 先週私は、旭川めぐみ教会の聖書講演会で『聖書が語る神の愛』というテーマで講演をさせていただき、聖霊に押し出されてメッセージを取り継がせていただきました。新しい方々が10名、その他に教会メンバーのご家族が集われ、祝福された講演会となりました。このような働きと祝福は背後の祈りがあればこそで、感謝でいっぱいです。先週から私たちはアモス書の通読に入っています。アッシリヤ捕囚のおよそ30年前、BC750年頃に南ユダの羊飼いであり、農夫でもあった預言者アモスによって語られた北イスラエルのさばきに関する預言の... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち151
アントニオいのち「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」エペソ2:14-16 実に、キリストこそ私たちの平和です。」(エペソ2:14) このたび私は、旭川の教会に講師としてお招きされ、『聖書が語る神の愛』というテーマでお話をさせていただいた。背後の積み上げられた豊かな祈りにより、聖霊に押し出されるように、神の愛について語らせていただいた。同労の牧師ご... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち149
アントニオいのち「一切のことを、愛をもって行いなさい。(1コリント16:14) 「愛は結びの帯として完全です。」(コロサイ3:14) 私の一日は、朝の祈りとみことばから始まり、就寝前の感謝の祈りで終わります。取るに足りない小さな者が、キリストの十字架の愛と恵みによって、全知全能の偉大な神を知るようになり、素直に「天の父なる神さま」と呼ばわり、祈れる人間に変えられた。まさに奇蹟である。その神が使徒パウロを通して、「一切のことを愛をもって…」と語り、さらに「愛は結びの帯として完全です」とも言うのです。この「一切のこと」と「完全」は、まさにeverythingでありperfectなのです。今もなお罪深い愚かな者が、どうしてこれを実行出来ようかと思われるかもしれないが、なんと朝一番に、... -
共におられるイエス
説教要約まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいましょう。 詩篇23篇6節 先週末の私は、スケジュールが詰まっていて、とても慌ただしい時間を過ごしていました。それでも、朝毎のみことばと祈りの時間が守られ、夜の感謝の時を欠かさず過ごせたのは、「いつも主が共におられる」という信仰の恵みだと感謝しています。本日の「みことばの光」の通読箇所は詩篇23篇です。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(v.1)多くの苦難を経験したダビデが、主の助けと守りを回顧しながら、主なる神を羊飼いとし、自らをか弱き羊になぞらえて、歌うこの詩は、まさに、九十九匹を残し、いなくなった一匹の羊を探し... -
信仰の土台 マタイ6:24-34
説教要約まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。マタイ6章33節 本日の週報表紙の写真は、先週行われた「東北地区秋季聖会」の様子です。コロナパンデミックが収まり、昼食の交わりも自由になり、講師の岩松先生から『終末から始まる世界』と題して大きな励ましをいただきました。岩松先生は、自身が末期癌と宣告され、まさに人生の終わりを体験し、さらには突然のように奥様が天に召されました。 相次ぐ試練の中で先生が見たものは、キリストの十字架を通して与えられる終わりに見る新たな出発なのです。 聖会の最後に、私が感謝の挨拶をさせていただき、「宣教とは、真実な神のみことばと、そのみことばに生きる信仰者の... -
◯ Pastor Macky 71の『いのちのパン』アントニオいのち148
アントニオいのち「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33) 主イエスの「山上の教え」のこのみことばは、恵み溢れる神の国と、この地上の様々な問題の中で生きる信仰者にとって、心配や思い煩いを引き起こす心、その生活が、私たちを神から引き離す一番の大敵であることを教えています。「神の義」の「義」のギリシャ語は「デカイオスネー」で、聖書外では、法廷において義を宣告される際に用いられる裁判的な意味と、聖書の「救い」と「勝利」という意味を兼ね備えています。「神の国と神の義」とは、キリストの救いが私たちの出発点であり、神の御手の中にある人生こそ、心配や思い煩いを払拭し、真の平安と希望を与えてくださる原点なのです。それゆえに、最も大切なことは、偉大な天の父...