マッキー芦名– Author –
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自らを献げる信仰
主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むことではないか。ミカ書6章8節 [聖書]ミカ書6:1〜8 先週私たちは、『自らを献げる信仰』との本年度の主題を掲げて総会を行いました。本年の活動計画と予算、そして奉仕分担を決めました。これらのことすべては、私たちの信仰の証しとともに、主が命じられた福音宣教のために行われるのです。そして、何よりも大切なことは、その働き人である私たちが、神の民、レビ族の祭司のように、神とこの世の人々の間に入って救いの仲介者として神に仕えるためなのです。 今回の総会のことや、私自身のこと、そしてこ... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち222
「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2) これは、主イエスの兄弟ヤコブが、エルサレムにおける迫害によって各地へ散らされた兄弟姉妹たち(ディアスポラ)に宛てて書いたものです。信仰の結ぶ実は、「愛、喜び、平安・・・」であるはずが、現実には、なんと「様々な試練」となり、その身に危害を及ぼす事になっているのです。そこで、エルサレムにおける教会の長老であったヤコブが、苦難の中にある彼らを励ますために、「試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい」というのです。ありがたくない試練を、「この上もない喜びとする」とは、いったいどうすればとよいのでしょう。 ヤコブは、こう続けます。「信仰が... -
自らを献げる信仰
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ12:1〜2 私たちは今、キリストの愛によって新しいいのちを与えられ生きています。 私にとって大切なお方がいつもともにおられるって、素晴らしいことです。 それがこの世の社会における人間関係においてもそうであるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。使徒パウロが「愛がないなら私は無に等しい」と言われたことをヒシヒシと感じています。 愚かな無に等しい私が、キリストの愛によって70過ぎまで生かされ、今も牧師としてここにいます。今、ちょっとした試みの中にありますが、ある意味、背筋がピリッとした... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち221
” 私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。"(詩篇62:1-2) このダビデの賛歌は、王としてのダビデが息子アブシャロムに謀反を起こされ、いのちを狙われるという重圧の中で、神に望みを置く者としての幸いを告白しています。「神から救いが来る」というダビデの信仰の確信は、「神こそわが岩」という、神の力と絶対的主権、その不変性を表しています。「揺るがされない」とは、ダビデの強い確信です。 私たちも、思わぬ出来事の中で戸惑い悩むことがありますが、このダビデの信仰の確信を覚え、私たちの救い主イエス・キリストは、どんな苦難からも私たちを救い出してくださる恵みに溢れるお方... -
自らを献げる信仰
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]レビ記1章1節~17節 本年の新しい主題を掲げて三週目に入ります。神の前に自らを献げるとは、「献身」を意味します。つまり、私をあなたの御用のためにささげますということです。それを今の私たちの信仰生活に適用するとどうすればよいのでしょう。 『みことばの光』の聖書通読は、ちょうど良いタイミングで「主にささげ物を献げる」(レビ1:2)という主旨の内容が記されているレビ記に入っています。 アブラハムの子孫として神に選ばれたイスラエルの民が、自らをきよめ、聖なる神との正しい関係を維持し、神と共に歩むために繰り返... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち220
“木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。”(ヨブ記14:7) このことばは、旧約聖書のヨブ記に登場するヨブという人が、度重なる災いで家族と財産を失い、自らも悪性の腫物に覆われ、生きる屍と化した状態の中で口にしたものです。彼は万物の創造者である神を信じる誠実な人で、その信仰が大いに祝福され、幸いな生活を送っていました。しかし、突如として数々の苦難に襲われ、その心が揺さぶられるのです。ヨブにとっては不条理と思われる苦しみの中で、彼は自然界の木々に目をとめ、「木には望みがある」と、それでも神に望みをおくのです。世界は今、相次ぐ飛行機事故や突然の災いで、多くの尊いいのちが失われています。「神がいるな... -
自らを献げる信仰
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ1:1~2 新年早々、思いがけない試練に遭遇し、眠られない日が続き、ストレス性心労から高血圧が続いています。せめて血圧が下がり健康が支えられるようにお祈りしていただけたら感謝です。 この春から、それぞれの家族にも教会にも新しい動きが見られます。それがどのような影響を与えるのかは、私たちの信仰と神の御手の中にあります。そうした変化を私たち自身がどのように受け止め、信仰によって対処して行くかが大切なことだと思っています。 今年度... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち219
“ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことでしょう。”(雅歌7:6より) これは、ダビデの子、賢者ソロモンの雅歌の一節です。『雅歌』とは、英語訳では、「Song of Songs]とされ、『歌の中の最も優れた歌』という意味です。言い換えれば、「雅やかな歌」と言えるでしょう。神とイスラエルの関係を、愛する人との関係になぞらえて、その恋の切なさ、愛の喜びを歌っているのです。この節の「あなたはなんと美しく、麗しいことよ」とは、どんなに美しい女性が多くいたとしても、あなただけが私の最も愛する人であり、あなたを恋慕うその思いは、私の喜びとなり、心の潤いとなると歌っているのです。これは、現代に適用するなら、救い主キリストと教会の関係であると... -
自らを献げる信仰
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12章1節 [聖書]ローマ人への手紙1章1節~2節 本年度の年間主題と聖句が決まりました。本日の説教タイトルが年間主題となります。主題聖句は、ロマ書12章1節の「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」です。すなわち、『自らを献げる信仰』を念頭において、あわれみ豊かな主イエスとともに、心を一つに前進しようという私たちの心の願いです。 先週から私は眠られぬ夜を過ごしています。思うことが多く、なぜか眠れないのです。雑多な... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち218
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13) この聖句を思うとき、昔読んだことのあるアンドレ・ジットの『狭き門』という小説を思い起こします。「狭き門」というと、いつの時代も受験生にとっては難関をイメージするでしょう。しかし、主イエスが言われた「狭き門」とは、「永遠のいのちに至る門」であり、「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる」という、天の神の溢れるばかりの恵みであることを教えているのです。今は牧師として生きている私は、かつては落ちこぼれ少年で、何をやっても中途半端な人間でした。挙げ句の果てには大きく道を外し、警察に補導されることしばしば、母の悲しみ...