この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5章5節
[聖書]ローマ5:1-11
先週木曜日の朝、婦人会の『聖書の学び』では、〜聖書に登場する女性たち〜から、『サムエルの母ハンナ』について学びました。深い嘆きと悲しみの中にあったハンナの心を注ぐ真摯な祈りは、神に受け入れられ、念願の男の子サムエルが与えられます。その子を生涯神にささげるというハンナの誓願は、彼女自身の献身でもありました。40年前、私が牧師になるために仕事を辞め献身したとき、私の母がこう言いました。「昌利の献身は私の献身でもある」。そう言って、母は四年間、私たち一家の経済を支えてくれたのです。人間的にはまったく先が読めない信仰生活の中で、私たち夫婦が持っていたのは、「この希望は失望に終わることはない」という信仰の確信でした。また元不良少年で、良いと思われることは何をやっても三日坊主だった私の信仰が継続し、学業に燃えるようになったのは、長男に「勉」と命名したロマ書12:11の「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」との聖句によって、弛まずに努力できるようになったのです。このように、神のことばには力があり、その人の心に揺るがぬ平安と希望を与えることを確信するのです。
1.私たちのこの希望とは
ここでパウロが言う「この希望」とは、キリストによって義とされ、神との平和が与えられ、神の国にあずかれる栄光の希望です。それは、旧約の律法と預言の完成であり、パウロは、鋭い霊的洞察と旧約の適切な解釈をもって明らかにしています。それは「旧約聖書は十字架の陰であり、新約聖書によって明らかにされる」ということです。
2.患難をも喜べる信仰の希望
キリスト者は、将来の栄光の希望だけではなく、現在の試練や患難さえも喜べるのです。パウロの人生は苦難の連続でした。しかし、彼は「いつも主にあって喜びなさい」とピリピの教会に命じました。私たちの信仰は、患難が生じると忍耐が生み出され、忍耐によって品性が、そしてその品性が揺るがぬ希望を生むことを教えられるのです。
3.失望に終わらぬ本当の希望
「この希望は失望に終わらない」とは、原文では、「その希望は恥をかかせません」と訳せます。この世の希望は、いつも失望に変えられますが、私たちがそれを確信できるのは、私たちと共におられる聖霊とキリストによる神の愛が私たちの心の内に豊かに注がれているからなのです。この神の愛こそが、私たちの希望の本質なのです。


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