現実と信仰の狭間の中で

涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。詩篇126篇5ー6節

[聖書]詩篇126:1〜6
 先週は礼拝の後に、臨時総会が行われ、教会の現状を覚えてみなさんからの意見聴取をさせていただきました。
 あすなろ教会は、これまで何度も困難な状況に直面して来ました。その都度、現状を考慮し、祈りつつ話し合いをしてまいりました。今またこうして現実だけを直視すると、どうしても人間的な思いが先立ってしまいます。それが私たち人間の姿です。本日の詩篇は、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還したときに歌われたものです。彼らは神がなさった御業の前に、「私たちは夢を見ている者のようだ」と喜び叫び、神を賛美しているのです。さらに、諸国の民も「主は彼らのために大いなることをなさった」と神の御業を口にするのです。先週水曜夜の祈祷会で、学びの後の祈りの時に、出席者は、これまでにない経験をさせていただきました。教会が今置かれている現実の前に、これまでを振り返り、一人ひとりが泣きながら、涙と嗚咽で、主への感謝の祈りがささげられたのです。今ある現実を見るなら、不安と恐れだけでも、主がなさる御業を見上げるときに、そこには感謝と喜びが満ち溢れているのを知ったのです。

1.主が繁栄を回復させたとき
 新改訳第3版の126篇1節では、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき」と訳されています。彼らが長きに渡るバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還したとき、街は荒れ果て何もなく、街の城壁さえ崩れたままだったのです。彼らが、「元どおりに」と言って喜び叫んだのは神のふところに戻れたという事実が大いなることなのです。

2.信仰と現実の狭間の中で
 私たちは、「聖書はそう言っても現実はこれですよ」と、目の前の状況に心が奪われてしまします。無から有を生じさせる救いの神への信仰はどこにあるのでしょう。イスラエルの民もまた私たちはこれで終わりだと絶望したのです。しかし、聖書(預言者)は神の約束は必ず成就すると教えているのです。

3.からし種の信仰を携えて
 4節の「ネゲブの流れのように」とは、ユダの南部にある乾燥地帯ですが、雨季になると一気に水が溢れ、川が流れるのです。それによって地が潤い豊かな収穫を与えるのです。4節は、そのように、民の残り者たちを帰還させ、イスラエルの祝福を元どおりにしてくださいとの祈りと願いです。こうして涙ながらに祈りと願いをもって種を蒔く信仰者の祝福が後半で歌われるのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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