信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。ヘブル書12章2節
[聖書]ヘブル12:1-3
新年第一主日の礼拝を主の御前におささげできることを感謝いたします。2026年というこの時代、この世界に、今私たちは生かされています。「人は何のために生きるのか」、それは、昔から人類の大きなテーマです。
この目的を知って生きるのとそうでないのとでは、その価値観が大きく二分するのです。それは、人が神によって与えられたいのちの価値を決定付けることにもなります。主は「人はたとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」*1)と弟子たち教えられました。また、ルカの16章では、ある金持ちと、その金持ちの門前で物乞いをしていた全身おできの貧しいラザロというお話をし、二人が死んでから、ラザロは天のアブラハムのふところに導かれ、金持ちはハデス(よみ)にくだり、天を見上げて、「アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先に水を浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません」*2)と叫ぶのですが、時すでに遅しでした。キリストを信じる信仰こそ、この世の勝利者であり、永遠のいのちの揺るがぬ希望であることを覚えましょう。
1.私たちの前にある競争を
私たちの信仰生活は「この世との戦い」であり、競技だとヘブル書の著者は例えています。ゴスペルシンガーの小坂忠さんも『勝利者』という曲で「勝利者はいつでも苦しみ悩みながら、それでも前に進む」と歌っています。
そこには、ゴールを達成した先輩たちが雲のように私たちを取り巻いて応援していると1節は記しているのです。
2.栄光のゴールを目指して
私たちキリスト者は、どこがゴールか分からない走り方はしません。「信仰の創始者であり完成者であるイエスさまが待ち受けておられる」のです。預言者イザヤは、「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)と神にある力と祝福を告げておられるのです。
3.第一のものを第一として
主イエスの「山上の教え」の中に、「神の国と神の義をまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)とあります。私たちキリスト者の土台であり、信仰生活の原則をここで主は教えておられます。時々私たちは「そうは言っても」と言い訳をして、主から離れることがあります。ヨハネは言います。「私たちの信仰こそ、世に打ち勝った勝利です」と。


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