「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。マタイ1章23節
[聖書]マタイ1:18〜25
今日、私たちは一足早いクリスマス礼拝を行い、午後にはクリスマス祝会を行います。あすなろ教会として教会発足から49回目のクリスマスです。2025年の今日まで主のあわれみによって生かされ、天の御国を仰ぎ見ながら、この地上の歩みを続けられたことに感謝と喜びでいっぱいです。
本日の主題聖句は、「その名はインマヌエルと呼ばれる」訳すと「神が私たちとともにおられる」です。世界中でお祝いされるクリスマスの真の意味が、この一言に込められています。創世記1章の天地万物を創造された偉大な神が、「ひとりのみどりごイエス・キリストの誕生」を通して、いつもどこででも、私たちとともにおられるとするなら、何と力強く幸いなことでしょう。それだけではなく、キリストの十字架の死と復活により、滅び行く私たちの罪を贖い、永遠のいのちと神の国の特権を与えてくださるのです。ただし、この恵みと特権は、イエス・キリストを救い主と信じる信仰によるのです。しばしば苦難の中に置かれる私たちに、インマヌエルの主イエスは「心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)と語っておられるのです。
1.一人じゃないよ
近年、多くの人に知られ、愛されたアメリカの『フットプリント』という詩に、砂の上の足あとが二人分から一人分に消えた時、詩人は、「私の苦しみのときあなたはどこにおられたのですか?」との問いがなされました。すると、天から主の声が聞こえ「その足あとはわたしのです。わたしがあなたを背負って歩いていたのです」と返ってくるのです。
2.キリスト誕生に見る神の愛
聖書全体の中心聖句とも言えるヨハネ3:16に「神は、ひとり子を与えたもうほどにこの世を愛された」とあります。キリストのいのちが犠牲となってささげられ、滅び行く私たちに新しい生きるいのちが与えられるのです。ですから、信仰の本質は「神の愛」なのです。主がともにおられるとは、キリストの愛がいつもともにあるということです。
3.その名はインマヌエル
主は、私たちを滅びより贖い、「神の国はあなたがたのただ中にある」(ルカ17:21)と仰せられました。ゆえに私たちは、「私たちの国籍は天にある」と胸を張って告白できるのです。
インマヌエルの主はクリスマスだけの神ではありません。私たちが嘆き悲しむ時、途方に暮れる時、どんな時にも、ともにおられるお方です。


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