主よ。私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。エレミヤ10章23節
[聖書]エレミヤ10:1〜25
先週火曜日の朝方、いつもの「今朝のみことば」を配信する前に、私は臨場感あふれる夢を見ていました。
大きなホテルの会場で、キリスト教会の全国集会が開催されていたのです。私は、肩にカメラをぶら下げ、集会の資料を配布する奉仕をしていました。集会が始まると、こんなメッセージが心に響いて来たのです。「出エジプトのイスラエルの民は、移動する先々で幕屋を張り、神への礼拝を献げました。しかし今、私たちの心にはキリストが共におられます。ですから、いつも、どこにいても、私たちは神に礼拝をお献げすることができるのです。」
何か壮大な夢を見て、目が覚めると、その日の通読箇所が、「この国よ、聞け。見よ。わたしはこの民にわざわいをもたらす。」(エレ6:19)と、まさにエレミヤを通して語られた民に対する戒めのことばでした。偉大な神の恵みを知りながら、自分勝手な道に歩む民に、ついに神のさばきが下るのです。今朝は、本日の通読箇所から、弱さの中にあっても、真の神に目を上げ、心を注ぐなら、神は私たちをあわれみ、偉大な御手をもって助け導いてくださることを学ばせていただきたいと思います。
1.虚しい偶像に頼るな(v.1-7)
イスラエルの一番の罪は、神から離れ、偶像崇拝にその心が傾いてしまったことです。彼らが唯一絶対の神を知らなかったのではありません。主に頼ることが自分にとって不利益だと思い、自らの思いを優先させた結果が神を悲しませる結果となったのです。ともすれば私たちも陥りやすいことです。
2.創造者なる神を信頼せよ(v.8-16)
「空しい神々の訓戒」とは、5節の「きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けない」という頼りないものであるということです。それが金や銀であっても人のわざであり、まことの神とは比較にならないことを、11節で「主は御力をもって地を造り、…英知をもって天を張られた」というのです。この神に信頼することが神の民の本来の生き方なのです。
3.私たちの信仰(v.17-25)
ユダの現実は、神のさばきです。(v.17-22)最後に預言者は言います。「人間の道はその人によるのではない」、つまり、公正をもって地をさばく神にあるというのです。1ヨハネ5章4節に「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」とあります。私たちは今、キリストの贖いの御業によって、神の民とされたのです。
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