私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。
第1テモテ1章14節
[聖書]第1テモテ1:12-20
みなさんとは半月ぶりの再会となります。私たちの夏季休暇の間、二週に渡って『賛美&証し礼拝』を行なっていただきました。私たちは、初回は北上聖書バプテスト教会(保主バプテスト)の教会で礼拝を守り、先週は小湊キリスト教会(同盟教団)で礼拝を守らせていただきました。二週間に渡る車での旅で1800キロを走行しました。背後の祈りにも支えられて、私たちの思いを超えた主の導きがあり、120%の恵みと祝福を味合わせていただきました。
特に優子さんのご親戚とご両親との交わりは神の愛に包まれて、喜びにあふれる時間でした。愛もまことも元気でしたし、まさるもすっかりあかぬけして都会犬になっていました。私たちの人生は、思いがけない出来事に遭遇することがしばしばあります。けれども、主にすがって歩み続けるなら、あわれみ深い神は、私たちの祈りと願いに応えてくださり、今回のように、思いを超えた恵みと祝福を与えてくださるのです。
本日は、礼拝の中で聖餐式もございます。主の十字架の愛と恵みがあふれるほど注がれている私たちの信仰について、パウロの牧会書簡から学ばせていただきたいと願っています。
1.神に敵対する者であった人が
使徒パウロは、元は律法主義者のパリサイ人でした。その律法の熱心はキリスト者と教会を迫害するほどでした。その彼がキリストとの出会いによって、その人生が180度変えられ、キリストの伝道者として世界宣教へと用いられるまで変えられるのです。神の愛とあわれみは、人を新しく生まれ変えさせる恵みと力があるのです。
2.罪人を救うために来られた主
先週の『アントニオいのち250』に、神の本性について、詩篇103篇から記しました。天地万物を創造された神は、愛とあわれみに満ちておられるお方であると詩人は歌っています。寛大で恵み豊かな神は、こんな愚かな私をも愛し、愛、喜び、平安の道へと導いてくださるのです。パウロもそうですが、それ以上に私もまたその見本なのです。
3.あふれる主の恵みによって
パウロは、他の手紙(1コリント15)で、「教会を迫害したほどの私は、神の恵みによって今の私になりました」と神の恵みを強調しています。それは、一方的な神の選びと導きです。
この神の選びと恵みをしっかり心に握って離さないなら、私たちの地上の生涯は喜びと平安に満たされ、神の栄光を証しするものとなるのです。
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