あなたはモーセとアロンの手によって ご自分の民を 羊の群れのように導かれました。詩篇77篇20節
[聖書]詩篇 77:1-20
『みことばの光』による聖書通読は、第一列王記を終え、詩篇77篇に移りました。第一列王16章からアハブ王が登場し、最後の22章に至るまで、彼の22年間の様子が描かれていました。
シドンの王の娘を妻とし、イスラエルにバアル信仰を持ち込み、民を神から引き離し、バアルとまことの神と対決を平気で容認し戦わせるアハブ王には、狡猾で強引な面と性格的には幼児的で稚拙な面があることを聖書は記しています。彼がアラムの王ベン・ハダドと一戦を交える20章では、アハブの名前が消え、「イスラエルの王は」と記されています。こうしたアハブ王に関する七章にわたる記述には、神を信じる私たちの外面とその取り巻く背景、そして個人的な内面に迫りつつ、神と自分との関係のあり方を適用として迫っているように教えられています。
そして今朝は、詩篇77篇からの学びです。信仰者の歩みにおいても、その時代の社会事情により、自らの信仰の思いとは違った理不尽な出来事に遭遇することがあるのです。そしてそんな時にこそ、創造の歴史を貫く神の真実とその計画に目を向け、神のみこころに従う信仰者であるべきなのです。
1.試みの中で思うこと
人は苦難の中に置かれると、心を閉ざす傾向にあります。私たちキリスト者も決して例外ではありません。祈りが虚しく感じられ、神に拒否されているように思うのです。7節〜9節がそうです。
しかし、神の前に鎮まり、神の右の手は少しも変わらず自分を守ってくださっていること(cf.v.10)に気づくとき、苦難の中に主の光が射し込むのです。詩篇16篇8節の聖句のようにです。
2.イスラエルの歴史から神を見る
77篇と続く78篇は、私たちが先に通読した第一列王記の概観のようです。神がイスラエルの民を扱われた素晴らしい御業が出エジプトの出来事からダビデ王国に至るまで記されており、同時に民の絶えざる不信と不従順が、神の恵みを見て知っていてもそうであったことが指摘されているのです。
3.苦難の時にこそ心を神に
ダビデは、「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。それで私はあなたのおきてを学びました」(詩119:71)と主を讃えました。モーセとアロンによってご自分の民を羊のように導かれた神は(77:20)、私たちが苦難の中にあっても決して神から離れずに、むしろ積極的に神に近づくことを求めておられるのを覚えてください。
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