“ 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。”(マタイ 5:4)
このみことばは、主イエスの「八福の教え」の二番目です。この世には理不尽なことが多く、傷つき落胆し、立ち上がることさえ出来なくなることがあります。それゆえに世は、悲しみから解放するためにあらゆる手段を講じて楽しむことを提供します。しかし、それらのために用いられる金銭やエネルギーは、悲しみという心から逃避する目的の現れに過ぎません。
この箇所の並行記事であるルカ6章25節には、否定文でこう記されています。「今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。」主がここで語っておられるのは、霊的な意味での悲しみです。世の価値基準とは真逆なのです。この世では心の貧しい者が幸いとは言えず、悲しむ者もお気の毒な存在です。しかし、神の前に自らの心の貧しさを嘆き悲しみ、神の慰め、神の愛に依り頼んで生きようとするなら、そこに神の国があり、豊かな慰めがあることを知るのです。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2025.7.3)
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