いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。わたしは聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだる人とともに住む。イザヤ57章15節
[聖書]イザヤ57:11-16
私たちは今、「みことばの光」を通してイザヤ書を通読しています。不信仰な神の民に対する神のさばきが語られ、人に頼るのではなく、絶対的主権者である神にのみ信頼すべきことを告げ、差し迫る脅威に立ち向かうように繰り返し告げられるのですが、結局は神の怒りに触れ、国が滅亡してしまうのです。これだけはっきりした歴史的前例があるのにも関わらず、私たちは、自分の事でさえ、神さまに委ねることができずに、思い煩いや心配に心が支配され、神を後回しにすることがなんと多いことでしょうか。教会は、きょうからアドベントに入ります。待降節とは、救い主キリストの御降誕(初臨)と、主が再び来られる再臨を待ち望むことを意味します。キリスト者である私たちの信仰の本質は、「神の国と神の義を第一に生きる」ことにあります。これが崩れると、私たちもまた預言者の時代の滅び行く神の民と同じことになってしまうのです。本日はアドベント第一週を迎えて、私たちを罪の滅びから救うためにこの世に来られた主イエス・キリストの誕生とその恵みについて学ばせていただきたいと願います。
1.救いの喜び、その本源
クリスマスの御子イエスの誕生をあなたはどう受けとめているでしょう。「その名はインマヌエル」(神が私たちとともにおられる)という救い主イエス・キリストを通してあなたは変えられていますか。罪の滅びから贖われ、新しいいのち(神の国)に生かされていることを実感していますか?
これが私たちの喜びの本源です。
2.キリストのからだなる教会
エペソ書で、パウロは「教会はキリストのからだであり、キリストはその頭(かしら)である」と教えています。
教会の本質は、キリストによって罪赦され贖われた者たちの有機体(一つのからだ)です。そこには地域教会とさらに地域を超えた公同の教会があり、その全体がキリストの教会であると聖書は教えているのです。
3.神がともにおられるのだから
本日の主題聖句は、神のさばきが迫りつつあり、実際には滅んでしまった神の民に向けて語られたイザヤのことばです。「砕かれた人、へりくだる人」とは、まさにマタイ5章の「心の貧しい人」を指しています。主は、「天の御国はその人たちのもの」と言われました。クリスマスを前に私たちの心はどこに向いているでしょう。
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