しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。イザヤ40章31節
[聖書]イザヤ40:12〜31
今年もあと二ヶ月を切りました。これから私たちは教会のメインイベントである「クリスマス礼拝&祝会」へ向けて準備を進めてまいります。悲惨な戦争、凶悪な事件、困惑するような出来事が相次ぐ世にあって、私たちは、「ここに救いがあり、ここに平和がある」と声を大にして、救い主誕生のメッセージを伝えたいと思います。そして、そのためにも私たち自身が平安と希望を抱いて自らの生き様をもって主の恵みを証しし、栄光の主を讃えたいと心から願っております。
本日のイザヤ書40章は、救い主イエスの到来の前に、その道備えをしたバプテスマのヨハネが引用した聖句が記されています。(v.3)このイザヤ書全体の内容は、「民に対する神の怒りとさばき、そしてそんな民に対する神のあわれみと救い」が再三再四、繰り返し語られているのです。何か事あるごとに動揺し、神から目を逸らして離れてしまう愚かな私たちを、主は執拗に愛を持って迫ってくるのですから、それは、ただただ恵みでしかありません。この恵みの主を信頼し待ち望む時に、私たちは新しい力を得て歩むことができるのです。
1.人はなぜ失望するのか
イザヤ書における神の怒りは、神の民としてその祝福を味わって来た者たちが、神に背き、他のものへと心を移していくことにあります。私たちの嘆きは、取り巻く苦難の前に、神の助けなどないという不信感から来る失望にあるのです。それがこの世の偶像崇拝と結びつくのです。そんな民に対して神はイザヤを通して神に立ち返ることを語り続けるのです。
2.偉大な神に目を向けよ
本年、小さな教会の私たちは、いくつかのことで心揺さぶられました。
現実に心が向き、それを人間の理解で解決しようとする時、やはり限界を感じ不信仰になってしまうのです。
9節と10節には、「見よ、あなたがたの神を」とあります。それは天地万物を治める全知全能の神なのです。
3.新しい力を与えてくださる神
27節から31節をご覧ください。非常に有名な箇所で、私も心から信じ、いつも力を受けている聖句です。苦難の中で弱り果てることは現実にあることです。それは年齢に関係なく、若者であってもです。でも、ここでは、「しかし」と、神に信頼し、主を待ち望む者のみなぎるパワーと祝福が鷲に例えて描かれているのです。
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