神の選びの恵み

有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。1コリント1:18,26-29

 週報表紙の写真は先週月曜日の秋季聖会の様子です。講師の松元先生より『キリストのからだを建て上げる』というテーマで、第一コリント1章と12章を通して、「教会とは何か」について学ばせていただきました。
 そこで、教会について、私が一番に言いたいことは、教会は本来、楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心を育てたり、友情を育んだりする場所ではなく、何よりも第一に「神を礼拝する所だということです。
 昔、クリスチャニティ・トゥディの編集顧問であったフィリップ・ヤンシーは、この点で失敗するなら、教会は失敗であると著書の中で述べています。今日のキリスト教世界は受け入れやすい福音ということで、十字架がなくても、罪を見つめなくてもよい福音、つまり先に話したことがらを目的とする傾向にあるというのです。教会の本質は、キリストの十字架の死と復活によって、死からいのちへと贖われた者たちの集いであり、キリストのからだを形成する有機体です。今回は、この神の教会の本質について「神の選びの恵み」という主題で学ばせていただきたいと思います。

1.十字架の恵みを心に
 私たち教会の出発点はキリストの十字架です。そして、罪赦された神の子たちが、十字架の愛によって一つとされ、滅び行くたましいを救いに導くための宣教の働きをその使命としているのです。先に話したことは、神への礼拝に続く教会の働きです。この後先を間違えてはなりません。

2.なぜ教会に分裂が起こるのか
 コリントの教会の問題は、分裂分派、そして教会内の不品行でした。
 それは、今日の総裁選ではありませんが、「私は◯◯に…」(1:12)というように、キリスト以外に目を向けていたことにあります。さらに、有能な人物や自分のお気に入りに心を向け、そこに自分の居場所を見つけようとするところに問題があるのです。

3.弱さの中に働く神に力
 1:18、23、27、28をお読みします。 神の選びはあわれみと恵みです。聖書全体がまさに神のあわれみと恵みを語っているのです。教会はキリストのからだであり、一人ひとりは、その器官(各部分)です。それゆえに調和(スンフォネオー/オーケストラのシンフォニーの原意)のように、違いが一緒になって素晴らしい神への賛美と礼拝になるのです。主の恵みに感謝です。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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