ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。」第一サムエルニ5章14節
『ぶれない信仰』と年間テーマを掲げ、「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」との聖句で半年を経過しました。私たちは今、試みられています。私自身の生き方が今一度厳しく問われているところです。しかし、幸いなことに、主からの慰めと励ましがあり、信仰の希望は少しも変わりません。私たちの人生には、「もし、このことがなかったら、あのことがなかったら」と、思い悩むことがよくあることです。私自身は、本日の週報の『いのちのパン』に掲載しましたが、詩篇73:24のみことばに立ち返り、主の諭しと導きに新たな思いで我が身を委ねることで、平安をいただいております。先週の祈祷会で分かち合いの中で教えられたことですが、ナバルの妻アビガエルとその一族が、名もない一人の若者の進言によって悲惨な状態を免れ、ダビデもまた罪を犯さずにすみました。この大きな事件を、聖書は「ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った」とあるだけです。問題は、その若者が告げた内容です。それは、人の生死を分ける大きな分岐点となるのです。本日は、この一人の若者が取った言動から学ばせていただきましょう。
1.互いの相違の中にあって
ナバルはその名の通り「愚か者」でした。しかし、裕福な実業家であったので、経営管理の才能には長けていたのは間違いありません。しかし、その性格は頑迷で行状が悪く、ケチですぐにカッとなる泥酔はいつものことと言う男です。そのナバルと賢明な妻のアビガエルと食べるに困窮していたダビデの三人がここで絡み合うのです。そして、大事件が起ころうとしているのです。
2.名も知れる和解の仲介者
危機的な前述の文脈に、名も知れぬ一人の若者が突然登場します。私は「聖書は凄い」と感動しています。どこに焦点を合わせるかによって、主の御心が明確に教えられるからです。この文脈で見落としてしまいそうな「一人の若者」に目を止め、彼の言動に注目してください。こうして、神はおりにかなって、ある人を選び用いられるのです。
3.あのとき私がいなかったら
人生の中には良くも悪くも転換期があります。それによって、人生が大きく左右されるのです。今回の25章は、アビガエルにとって自らの生死に関わることでした。それがナバルに仕える若い一人のしもべによって和解がもたらされ、張本人のナバルは、その十日後に突然死に絶えるのです。(v.34-38)
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