ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。第一サムエル12:24
先週は、私にとっていろいろなことが重なり、大変忙しい一週間でした。右耳が難聴で聞こえず、とうとう病院に行き治療を受けました。また風邪を引き、金曜日の午前中は、寝汗をかき、うなされるように寝込んでいました。こうして、とても苦しい状態の中、『ライフ・ラインのつどい』が開催されました。
ただ嬉しいことに、発汗してうなされている間中もみことばが頭の中をぐるぐると循環し、心に平安が与えられ、きっと主がすべてをご自身のみこころのままに行わせてくださるという確信が与えられていたのです。今回は第五主日で、初心者向けの礼拝プログラムですが、今通読しているサムエル記から信仰の原点について学ばせていただきます。
サムエル記は登場人物の生の営みの中に、神のご計画が絡まり、神のみこころが表れたり隠れたりしているので、理解に苦しむところもありますが、大切なことは、神の民イスラエルは、神との関係を第一にしてその存在に意義があるということです。それは、今日の私たちにとっては、キリストの救いの御業の中に私たちが存在し、キリストのからだなる教会に連なることで、神とキリストの栄光を証することができるということです。
1.たとえ王制であったとしても
イスラエルの王制導入のきっかけは、サムエルの息子たちが父の道に歩まず利得を求め、さばきを曲げていたからです。(8:1-5)サムエルは心を痛めながらも民の声に聞き従い、サウルを王に立てたのです。しかし、彼の願うことは、14、20、24節にあるように、あくまでも、主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従って歩むことなのです。
2.罪に罪を重ねることのない世に
神を知っていながら神から離れることこそ、悲しく残念なことはありません。
ルカ11章24節に「汚れた霊が出てきた自分の家に帰ろう」とあり、「そうなるとその人の最後の状態は、初めより悪くなる」(v.26)と記されています。19節に、「私たちは王を求めることによって、罪の上に悪を加えてしまった」と。
3.ただ主を信じて
先週金曜日の朝から悪寒、発熱、咳、発汗症状があり、横になっている間中、サムエル記のみことばが頭の中をぐるぐる循環し、平安と希望が与えられていました。これこそ、キリスト者の特権です。「主がどれほど大いなることをあなたになさったかを、よく見なさい」とは、これこそ、一方的な神の恵みであり、私たちはキリストから離れては、決して実を結ぶことはできません。
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