2025年– date –
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私たちの信仰
主よ。私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。エレミヤ10章23節 [聖書]エレミヤ10:1〜25 先週火曜日の朝方、いつもの「今朝のみことば」を配信する前に、私は臨場感あふれる夢を見ていました。 大きなホテルの会場で、キリスト教会の全国集会が開催されていたのです。私は、肩にカメラをぶら下げ、集会の資料を配布する奉仕をしていました。集会が始まると、こんなメッセージが心に響いて来たのです。「出エジプトのイスラエルの民は、移動する先々で幕屋を張り、神への礼拝を献げました。しかし今、私たちの心にはキリストが共におられます。ですから、いつも、どこにいても、私たちは神に礼拝を... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち254
“ 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」” (ローマ10:11) 人を信頼して、裏切られるような思いをし、失意落胆することはよくあることです。しかし、パウロは、「この方に信頼する者はだれも失望させられない」と教えています。「この方」とは、救い主イエス・キリストを指しています。この聖句は、イザヤ書28章16節の引用ですが、イザヤは、「シオンに一つの石を礎の石として据える」と語っています。これは、神がご自身の救いの計画として「一つの石」を置くという約束が、キリストの十字架の死と復活によって成就することを指し示しているのです。人に裏切られ、失望することがあったとしても、分け隔てなく、私たちの罪のた... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち253
" あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。"(1ペテロ1:23) 私たちの教会では、兄弟姉妹の誕生日を覚えて祝福の『Happy Birthday』 を皆で歌います。そのとき、私がいつも思うのは、キリストを信じ「新しいいのち」をいただいたときのことです。“古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました”(IIコリント)のみことばに、罪赦され、神の子とされた人生は、いのちの糧である「神のことば」によって豊かに成長することを実感しているのです。ペテロは、冒頭の聖句の文脈で、「草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とイザヤのことばを引用しています。私たち人間には限界... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち252
“ 知恵のある者の心は右を向き、愚かな者の心は左を向く。” (伝道者10:2) 聖書では「右」は神の力、祝福、正しさ、神の御心を象徴することばとして用いられます。詩篇16:8の「私はいつも私の前に主をおいた。主が私の右におられるので、私はゆるがされることがない。」という信仰の確信がそうです。一方で、「左」は、それに対する反対で、不信仰を表しています。マタイ25:41の主イエスのたとえで、「王は左にいる者たちに、わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ」と神のさばきについて語っておられます。冒頭の伝道者のことばは、知恵のある者の心は正しい方向、真の神に向き、愚かな人の心は、不信仰の結末である「滅び(破滅)へと向かう」と教え... -
倍増する力と喜び
一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。伝道者4章12節 [聖書]伝道者4:7〜12 私たちは今、伝道者の書を通読し、賢者ソロモンの人生経験から、神なき人生の空しさと神を信頼する者の恵みと力についての教訓を学ばせていただいております。先週も水曜夜の聖書研究祈祷会において伝道者の書3章から学び、ともに近況と祈りの課題を分かち合い、『祈りの手帳』を通して、兄弟姉妹のために祈り合うことが出来ました。使徒パウロは、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい」(ローマ12:15)とキリスト者の生き様を奨励しています。私たち教会の一人ひとりは、一つのキリストのからだを形成し、一人ひとりがそのからだの... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち251
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるに時があり、死ぬのに時がある。(伝道者3章1節-2節a) 昔、米国のピート・シーガーと言うフォーク歌手が伝道者の書3:1をもとに『Turn! Turn! Turn! 』というリフレインを入れて歌ったフォークソングを今でも覚えています。その歌い出しは、To everything (turn, turn, turn)There is a season (turn, turn, turn)で、「すべての事には時があり、季節は巡る」というのです。(turn, turn, turn)は、「巡る」というニュアンスです。つまり、この聖句にある「誕生と死」という、人の人生でさえ「天の下」、つまり、神の御手の中で事がなされると言うのです。 しかし、これは... -
あふれる主の恵みによって
私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。第1テモテ1章14節 [聖書]第1テモテ1:12-20 みなさんとは半月ぶりの再会となります。私たちの夏季休暇の間、二週に渡って『賛美&証し礼拝』を行なっていただきました。私たちは、初回は北上聖書バプテスト教会(保主バプテスト)の教会で礼拝を守り、先週は小湊キリスト教会(同盟教団)で礼拝を守らせていただきました。二週間に渡る車での旅で1800キロを走行しました。背後の祈りにも支えられて、私たちの思いを超えた主の導きがあり、120%の恵みと祝福を味合わせていただきました。 特に優子さんのご親戚とご両親との交わりは神の愛に包まれて、喜びにあふれる時間でした。愛もまこと... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち250
“主はあわれみ深く情け深い。怒るのに遅く 恵み豊である。”(詩篇103:8) ダビデ(詩人)は、神の本質的なご性質を思い起こしながら、その溢れるばかりの恵みを感謝し賛美しています。「あわれみ深く」とは、母親が子を抱きしめるような、深いあわれみと優しさを表すことばです。「怒るのに遅く」とは、神の寛大な性質を意味し、私たちに回復のチャンスを与えておられるのです。「恵み豊か」とは、旧約聖書全体で神の本質を意味する「ヘセド」(愛、慈しみ、まこと、誠実)を表し、神の愛が尽きないことを強調しているのです。それは、心貧しく愚かなこの私にも、溢れるように注がれる神の愛と恵みです。私は、毎日、目覚めてすぐに、天の父なる神と御子イエスの十字架の恵みを覚え... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち249
主の教えは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。(詩篇19:7) 私は今、夏季休暇中で、北国青森から関東へ車で移動しながら、導かれる先々で、主のみことばの真実を証しさせていただいています。また、新たな出会いの中で、一人ひとりの尊いいのちが主の御手の中にあって生かされていることを覚えさせていただいています。冒頭の聖句の「主の教え」とは、律法(トーラー)を意味し、私たちを主の道へと導き、心を新に、内面から生き返らせ、たましいを潤す完全な力があるというのです。続く「証し」とは、主のみことばによるさとしのことです。神のことばは真実で確実です。私のように愚かな者でも、この絶対的主権を持っておられる神のことばを... -
◯ Pastor Macky 72の『いのちのパン』アントニオいのち248
悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みがその人を囲んでいる。(詩篇32:10) この聖句は、『悔い改めの七つの詩篇』(6,32,38,51,102,130,143)と呼ばれるもの2番目です。神の前に自らの罪を悔い、赦しと恵みを与えられた者として、信仰の教訓を歌っているのです。この聖句は、ダビデ自身が体験したことであり、「多くの痛み」(直訳) とは、嘆きと悲しみ、不安と恐れに心が支配されることです。しかし、罪を悔い改め、神を信頼するならば、「神の恵みがその人を取り囲む」というのです。神の恵みとは、苦しみからの解放であり、滅びからの救いを意味します。このところ私は、信頼関係を損なう出来事を連続で経験し、失意落胆していました。そんなとき、私自...