兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。ヤコブ5章9節
[聖書]ヤコブの手紙:1〜11
アドベントの第二週を迎えました。かつて会堂が広く使えた時には、毎年アドベントを迎えるたびに、講壇の横にポインセチアを飾り、キャンドルに火を灯し、教会の窓にはイルミネーションを飾してクリスマスを待ち望みました。コロナ・パンデミックが起こり、めぐみ姉の召天、世の情勢が目まぐるしく変化する中で、私たちの信仰と思いも、気付かぬうちに世の動向に影響されてはいないでしょうか。
「みことばの光」の本日の通読箇所は、イザヤ書からヤコブ書5章前半になっています。これには編集者の意図を強く感じています。ユダ王国に押し迫る危機の中で、預言者イザヤが声を大にして、神に立ち返るよう叫びますが、民はその忠告を無視し、結局は神の怒りとさばきを自ら招いてしまうのです。今日のヤコブ書はそんな旧約の歴史的事実を心に留めながら、「富を頼りとするお横柄な者」、「試練の中に生きる信仰者」、「模範にすべき預言者とヨブの忍耐とその信仰」この三つにスポットを当てて、主の御降誕と、再臨の主の前にある私たちの信仰のあり方について学ばせていただきたいと願います。
1.高ぶりこそ大きな罪
主の弟ヤコブは、預言者のような口調で金持ちの傲慢を断罪します。
ここに登場する金持ちの地主は、キリスト者ではないと思われます。世の富は恒久的ではありません。私たちキリスト者は「神を愛し、隣人を愛する」ことにより、天に宝を蓄えるべきことをこの箇所から学ぶべきです。
2.試練の中にある神の恵み
私が50年前、信仰を持ってすぐに暗誦した「忍耐が練られた品性を生み、練られた品性が希望を生み出すと私たちは知っている」(ロマ5:4)を思い起こします。私たちが文句を言い合うのはやめましょう。神が試練を通して私たちに与えてくださるのは、主とともにある永遠のいのちと御国における永遠の住まいなのです。
3.試練の中にある幸い
「幸いな者よ」(Blessed)で始まる主の八福の教えの最後は、「義のために迫害されている者」たちに対してです。「天の御国はその人たちの者だから」と主は教えておられます。初代の教会は、主の再臨が間近いという緊張感の中にありました。事実その数十年後、ローマ軍によってエルサレムは陥落し、彼らの信仰は、またもふるいにかけられるのです。
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