絶対的主権によって

恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたにいいます。この方を恐れなさい。ルカ12章5節

[聖書]ルカ20:1〜19       
 イザヤ43章に次のことばがあります。―主のことばー わたしが神だ。これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。(v.12-13)
 この預言者イザヤのことばは、天地万物を創造された神の絶対的主権を述べています。この聖句の前の11節には、「わたし、このわたしが主であり、ほかに救い主はいない」と明言されています。この絶対的主権者である神をイスラエルの民はどのように考え、信じていたのでしょうか。それは、聖書全体を読んで、分かるように、真の神を知っていても自分本位に生きる人、神を知り、自分こそ神の民と自負し、実のところ神の恵みから最も遠く離れて生きているイスラエルの指導者たちが存在していることが分かります。
 今日の箇所の文脈は、神の存在を知り、神の律法、その戒めを民に教えるリーダーたちが、なんと 「イエスを殺そうと狙っていた」(19:47)というのです。
 2節の「何の権威によって、これらのことをしているのか」という主に対する彼らの問いが本日のテーマです。
本日は、イエスの権威を知り信じる信仰について学ばせていただきましょう。

1.何の権威によって
「権威」(ギ/エクスーシア)とは、権限、支配する権限を意味します。また「権力」も同じことばです。ここに登場する権力者である「祭司長、律法学者、長老たち」(v.2)は、ユダヤ最高議会(サンヘドリン)を構成するメンバーです。彼らは、イエスの権威がだれによるのかを問い、その答えによってイエスを断罪し亡き者にしようと企んでいたのです。

2.彼らが気にしていたのは
 神の民イスラエルが一番大切にし、恐れなければならないお方は、絶対的主権を持っておられる神御自身です。
 しかし、主から出たことばで、民の指導者である彼らが気にしたのは、神ではなく、民の思いとその行動です。
主の力ある業を知りつつも、自分たちの権力に心が支配されていたのです。
まさに「心がどこにあるか」なのです。

3.悪い農夫たちのたとえから
 彼らの心を知る主は、「ぶどう園の農夫のたとえ」を話します。(v.9-16) このたとえでは、農夫たちがユダヤ指導者たちであり、主人から遣わされたしもべたちは預言者です。そして最後の息子とは、主イエスのことです。彼らは、その息子を見ると妬みから殺してしまうのです。7節の「捨てた石が要の石となった」とは十字架のキリストです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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