約束の地を目指して

 モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行なっていた。そこでモーセは彼らを祝福した。出エジプト39章43節

 いよいよ出エジプト記も明日で通読を終えます。生後三ヶ月でナイル川の葦の茂みの中に置かれた赤子のモーセは、なんとエジプトの王女に拾い育てられ、エジプトの王子としての教育を受け立派に成長するのです。そしてモーセ40歳の時に、同胞を救い出そうとするのですが、それは神の前には全く無力でした。むしろ彼は、ファラオに命を狙われ、ミデイアンの地に逃れ、イテロの羊飼いとしての40年を過ごします。モーセは、そこで神に使える救済者としての訓練を受けるのです。それは、熱心な律法学者で迫害者でもあったサウロが、世界の宣教者パウロに変えられるような神の計画を見るのです。
 すべてのことを働かせて益と変えてくださる神の前に、誠実に従うことこそ、私たちの最善であることを覚えます。
 本日は出エジプト記の後半から、「神の幕屋が目指すとこと」について、学ばせていただきます。その前に、本日のテキストを通して、私たちの今現在の信仰が、「何をして、何をしていないのか」を確認させていただき、モーセが神から受けて命じられたことに対して民がどのような対応したのかをしっかりと学ばせていただきたいと願っております。

1.主が命じられたとおりに
 神の幕屋とすべての備品が、モーセが山上で主に指示された通りに詳細に制作され、39章では祭司の式服が作れる様子が記されています。大祭司のエポデと祭司の長服のすべてが、「主がモーセに命じられたとおりに」作られたことが32節まで七回記されています。彼らがモーセの指示に誠実に従ったことが強調されているのです。

2.金の子牛と神の幕屋とのギャップ
 先週の通読箇所36章では、聖所の奉仕のために知恵と英知を授けられた総棟梁と副棟梁が立てられたとき、「イスラエルの子らは朝ごとに、進んで献げるものを彼のところも持って来た」(36)とあり、「あり余るほどであった」とありました。彼らがモーセを待ち切れず山の麓で金の耳輪を外して差し出したときと動機の違いが分かります。

3.主を第一にすることのために
 本日のテキスト後半32節からは、制作された幕屋の備品すべてが並べられ、モーセによって確認されます。
 ここでも、「主がモーセに命じられたとおりに」と3回確認されます。最後の「モーセがすべての仕事を見ると」の仕事とは、託された使命が正しく充分に果たされたかを問う意味があります。
さて、私たちの信仰は如何でしょうか。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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