これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。イザヤ43章13節
[聖書] II列王記9:1-13
私が特定の方々に配信している先週金曜日の「今朝のみことば」に、イザヤ43章13節の聖句を引用して、今私たちが通読しているⅡ列王記の解説をさせていただきました。それは、人知を超えた神の計画とその働きに、神の絶対的主権を私たちは知ることができるということです。神に背き、偶像に浸るイスラエルの王たちに、再三、エリシャは悔い改めて神に立ち返るべきことを伝え、神の怒りとそのさばきを告げるのですが、彼らはいっこうに耳を傾けようとはせず、結局のところ、エリシャのことば通り、神のさばきに触れ、自ら災禍を招いてしまうのです。第二列王記は、そんな神の民が、北も南もそれぞれ滅ぼされるまでの王たちの記録です。
本日は、Ⅱ列王記9章前半の出来事から、イザヤ書43章のみことばの真実を学ばせていただきます。先ほどお読みした箇所には、預言者の仲間の一人がヨラム王の隊長であるエフーに油を注いで王とするために神の人エリシャに遣わされるのです。それは謀反なのですが、神がそれを許され、かつて預言者エリヤに語られたことが成就するためであったのを覚えるのです。それは神の計画と絶対的主権です。
1.すでに語られていたことが
アハブの家の滅亡については、すでにエリヤによって預言されていました。
(cf.1列21:17-24)それは、アハブが妻イゼベルとともに前代未聞の悪を行っていたからです。部下のエフーによって殺されるヨラムはアハズとイゼベルの子で、在位2年で死んだアヤズヤの弟です。まさに出エジプト記の十戒の第2戒のことばを思い起こさせます。
2.神から離れることのゆえに
II列王17章13節には、すべての預言者が北と南の王と民たちに告げたメッセージが記されています。「神に立ち返り、主の律法に従い、主の命令とおきてを守ること」だというのです。
だれがどうのではなく、あなたはどうなのかということです。神から離れること自体が神を悲しませることなのです。
3.神の計画と絶対的主権
私たちは聖書全体をバランス良く通読しています。旧約聖書の預言書を通読して教えられるのは、預言者が告げることばは、絶対的主権をもっておられる神御自身のことばであり、愛とあわれみ、「ヘセド」をもって迫る救いと回復のメッセージであるということです。本日の主題聖句は、「わたしのほかに救いはない」(イザヤ43:11)と仰せられる神の絶対的ご主権なのです。
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