もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それを行うなら、わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。レビ記26章3〜4節
[聖書]レビ記26:1-26
本日の週報の写真にあるように、先週金曜日の午前中に新田先生の畑で、ジャガイモの植え付け作業をさせていただきました。新田先生は、教会の子どもたちが土に触れ、大自然の中で心豊かに成長することを願って毎年、私たちに畑を提供してくださっています。大自然がもたらす収穫は、まさに神の恵みです。この天地万物を創造された恵みの神に対して、私たち人間が如何に生きるべきかが聖書の最も大きなテーマであり、学ぶべきポイントです。
レビ記は、出エジプト記と密接な関係があります。出エジプト記の中の幕屋建設とシナイ律法の両方を完結させるための続編です。このレビ記においては、その幕屋でささげられる物とその職務に携わる祭司について記され、さらに、幕屋を中心とした神とイスラエルの民の交わりと礼拝と生活に関する指針が与えられているのです。つまり神の聖なる民としての生き方です。本日は、レビ記26章の前半から、神の掟に従い、神の命令を守り行うキリスト者の祝福と、神から離れて生きる者の結末について、自分自身のこととして学ばせていただきましょう。
1.神の祝福とさばきを覚えて
この26章全体は、前半の13節までは神の掟を遵守する者の大きな祝福について記され、14節からは「しかし、わたしに聞き従わず、命令を守り行わないなら」と、前半の大きな祝福とは真逆の病気や苦難、罪に対する七倍の懲らしめが生じると語られているのです。それは彼らの敵が見て唖然とするほどの徹底的な悲惨を自ら招くことを宣告するのです。
2.主の契約に立ち返って
神の民イスラエルは、実際のところは背信の民であり、結局のところ神を悲しませてばかりでした。しかし、そんな民をも神は常に愛とあわれみをもって待ち望み、彼らが立ち返るなら、彼らの父祖たちと結んだ契約を思い起こし、彼らを大いに祝福するというのです。(cf.v.42以降)神に立ち返るとは、神と共に生きることです。
3.神の恵みと祝福を信頼して
あすなろ教会は、本年は経済的にも困窮するのは目に見えています。
先週水曜夜の祈祷会では民の安息と解放を覚えるヨベルの年について学びました。神は彼らが掟を守れるように、三年分の収穫を生じさせ、彼らを大いに祝福するというのです。主の守りと導きを信じて歩みましょう。
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