心の目が開かれて

あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものかを、知ることができますように。エペソ書1章18節

[聖書]エペソ1:17〜19
 第二コリント5章17節のみことばにあるように、私たちはキリストにあって新しく造られた者であり、古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなったのです。つまり、キリストによる新生によって、新しいいのちが与えられ、神の恵みによる徹底的な新しい視点(見よ、すべてが)が与えられたことを意味するのです。 『こいのにあ三人写真展』は、本日が最終日です。私たちは、この被造世界をキリスト者としての視点で捉え、神の恵みを証しすることを目的としています。今朝は、信仰の原点に立って、心の目を開き、神の恵みの豊かさを見させていただきましょう。

1.心の目が開かれて
 さて、「心の目が開かれる」とは、どんなことなのでしょう。「心」(原語゙=カルデア)とは、「精神、思考、感情、意志」を含めた人間の内面を指すことばで、罪の座であると同時に信仰の座でもあり、その人の全人格を指すことばです。生まれながらの人は、その心に罪のフィルターがかけられ、神から離れ、自己中心な感情優先でものを見るのです。17節に、「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」とあります。私たちはキリストの救いによる神の御霊によって、心の目が開かれることを知っているのです。

2.望み見るいのちの光
 私は、「いのち」ということばを用いるとき「命」ではなく、「いのち」と表記するようにしています。それは、「命」は生物学的に息に関連し、生死を表す命であり、聖書が言ういのちとは、尊い存在そのものを意味し、全世界よりも尊い、死と対立する霊的ないのちを意味するのです。つまり復活のいのち、キリストにあるいのちです。私たちは、この霊的なキリストにあるいのちの光で新しい目で神の世界を見ることができるから感謝です。

3.心の目の目薬は、「愛」
先週ジェフさんが礼拝に集い、交わりを持たせていただきました。彼の働きとビジョンは、あらゆる言語でキリストのメッセージを世界中くまなく伝えることです。私たちキリスト者がどんなに大きな働きをしたとしても、そこに愛がなければ何の役にも立ちません。それらは全く無に等しくなるのです。1コリント13章2節にあるように、私たち心の目を開いて物を見るとき、そこにキリストの十字架の愛がなければ意味が無いのです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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