わたしはエジプト人を、厳しい主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを治める。イザヤ19章4節
今年もあと残すところ三ヶ月となりました。2024年後半の教会の歩みが主の御手の中で守られ祝福されるようにと祈ります。それにしても世界は様々な出来事で混乱しています。
戦争はさらにエスカレートし、自然災害も石川県の水害や米国のハリケーン被害など止むことがありません。
世界は今、聖書が記している通りに終末の様相を示しています。今、私たちが通読しているイザヤ書もまた、そのことを教えているのです。先週水曜夜の祈祷会には五人の兄弟たちが出席し、イザヤ19章から、「神の絶対的主権」について学び、「私たちが信頼すべきはこの神以外にない」ことを、声を合わせて主を讃えました。今朝は、そのイザヤ書19章から、神の愛と恵みを分かち合いたいと心から願っています。
1.この世の権力と神の権力
このイザヤ書の文脈には当時のイスラエルを取り巻く諸大国の脅威があり、その国々を「神がさばかれるという宣告」(諸国の審判)があります。(cf.13章〜23章)それは、バビロンへの宣告に始まり、ツロへの宣告まで12の国々におよんでいるのです。神がさばきをなさるときは、国々が高ぶって神を侮るときと、偶像に浸って神の主権に目を向けないときであることを私たちは知るべきです。
2.力ある王が彼らを治める
本日のテキストは、イザヤが語る六番目の宣告でエジプトについてです。当時のエジプトは、軍事、経済、文明において他国とは比較にならないほど巨大な存在でした。それゆえに南ユダはこのエジプトに助けを求めたのです。しかし、この宣告では、そのようなエジプトが「力ある王に治められる」(v.4)というのです。
これは後に、新アッシリヤ帝国の王エルサルハドンによって実現します。
またそれは、絶対的主権を持っておられる神の支配をも意味します。
3.世界の回復のときが来る
16節から後半は、文体が詩文から散文とガラリと変わり、エジプトの回復の日が、「その日」ということばで具体的に繰り返し続きます。(v.16-24)
神の絶対的主権とその愛がエジプトを回復させ、ユダの祝福となるというのです。記されている事柄は、これまでの歴史にも見られないことで、解釈としては、キリストの十字架の贖いの御業と、終末の時代にスポットが当てられていると考えられるのです。
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