今の私は新しい

ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。第2コリント4章16節

[聖書]2コリント4:1-18
 先週はイースター召天者記念礼拝を行いました。愛餐会の交わりの後、私と優子姉とで三内霊園へ行き、お墓に花を手向けてまいりました。私たちの今があるのは、先人たちの信仰の賜物であると心から感謝しています。私たちは、十字架の贖いを成し遂げてくださったキリストによって、神の子とされ、日々新たにされて生かされているのです。何という恵みでしょう。そうかと言って、困難がないわけではありません。気になる事、心配な事が頭をよぎり、戸惑うことが多々あります。しかし、感謝なことに、私たちには、いつでも、どんな時にも全能の主に向かって祈れる特権と恵みがあるのです。人はだれでも霊的スランプに陥ることがあります。そのような時に、大切なことは、キリストにある私たちの「今の私」という存在です。週報裏面余白に、40年ほど前のロイドジョーンズの著作から抜粋した文章を載せています。私たちはキリストと共に神の国を受け継ぐ者であり、跡取りなのです。それに加えて、私たちの内なる人は、たとえ、外なる人は衰えても、日々キリストにあって新しくされているのです。
 本日は、「今の存在」に目を留めて主の恵みを味合わせていただきましょう。

1.土の器にある神の恵み
 私たちの肉体には限界があります。
年齢と共にあちらこちらに欠陥が生じます。同時に心も萎えて来るのです。しかしパウロは言います。「キリストを知る神の栄光で、私たちの心を照らしてくださり、この宝を土の器に入れてくださった」と。(v.6-7)それゆえに「窮地に陥っても行き詰まることはない」と確信するのです。(v.8-9)

2.キリストが共におられるから
 クリスマスの主が「インマヌエルの神」であることを私たちは知っています。復活の主が信じる私たちの中に聖霊なる神として常に共におられるのです。パウロは、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできない(1コリ12:3)と教えています。ここでも14節でパウロは、その確信を明言するのです。

3.今の私から離れないで
 私たちが心配し思い煩うのは、目に見るこの世の一時的なものです。
ヨハネは、「世と世の欲は滅び去ります」と教えています。(1ヨハ2:17)
 信仰によって新しくされた私たちは、神の国を受け継ぐ者であり、キリストと共に跡取りなのです。こんな素晴らしい特権を神の恵みとして与えられているのは大きな喜びです。

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あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

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