主を恐れることを知る [聖書]エゼキエル20:18-24

 
 先週の「アントニオいのち98」では、詩篇118篇6節を引用して、世界がどのような状況になろうとも、「主は私の味方 私は恐れない。」と、闇を光に、恐怖を希望に変えてくださる愛と恵みの主に対する私たちの信仰について配信させていただきました。こうした信仰の確信は、恐れるべきお方を恐れ、第一にすべきものを第一にすることにあるのです。具体的にいうなら、「神の国と神の義を第一にする」ことと、「神を恐れ、偶像から離れる」ということです。
 本日のエゼキエル書でいうなら、19節と20節がそうです。「わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行え。また、わたしの安息日を聖なるものとせよ。…わたしがあなたがたの神、主であることを知れ」ということです。
 私たちは、旧約聖書で預言者たちが神の民イスラエルに向かって嘆き叫びながら語ったこれらのことばを、私たちを救うために、十字架の贖いの御業を成就して下さった私たちの大祭司イエス・キリストの愛とあわれみによって、事実、この私の救いのためであったと知り、「イエスはキリストです」と告白しているのです。本日は、主を恐れ、主を知ることについて共に学んでまいります

目次

1.モーセの十戒を覚えて

私たちは、礼拝でモーセの十戒を繰り返し交読しています。それは、旧約における神の民が神を第一にして歩むことの中心であるからです。この十戒の掟から心が離れたときに、彼らは神の怒りに触れ、民自らが災禍を招いていたことを旧約の歴史は教えているのです。出エジプトと約束の地への入植という大きな恵みがありながらです。

2.あなたと共におられる神

 詩篇118篇の「主は私の味方」をNIVでは「The Lord is with me」(主は私と共にいる)と訳しています。「味方」、あるいは「助け」とは、新約では、「もうひとりの助け主」である「聖霊」を指しています。具体的にいうなら、救い主イエス・キリストが私たちの中に共に存在しておられるということです。エゼキエルの文脈でいうなら、神を恐れ偶像から離れて歩むということなのです。

3.主と共にあることの幸いを知る

 私たち人間は、信仰者といえども、自分の都合に合わせて信仰生活を営むことがあります。主を恐れ、第一のことを第一にする。実はそれがマタイ5章の八福の教えに込められています。
 主の前にへりくだり、自らを貧しくし、義と平和を求めて神の前に立つことが主を恐れる幸いな者の姿なのです

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

目次
目次
閉じる