私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
ピリピ4章13節
[聖書]ピリピ4:10〜23
このピリピ書におけるパウロの感謝と喜びは、第一に、ピリピの教会がパウロの働きのために献金を送ってくれた唯一の教会だったからです。しかも彼らは、あり余る中からではなく、貧しさの中から献げていたのです。15節に、「物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。」と記されています。彼らのパウロに対する思いやりと愛は、彼らの信仰の行いによってしっかりと証しされていたのです。貧しい人に、「お腹がすいたでしょう」と言って、優しい言葉をかけても、「信仰も、行いがなかったら、それだけでは死んだものです」と使徒ヤコブは言っています。このピリピ書は『喜びの手紙』と称されています。それは主の教会、エクレシアの喜びであり、霊的交わりの中にある愛と恵み、喜びと希望の共有なのです。これをギリシャ語の「コイノニア」というのです。先週月曜日、あすなろの姉妹たちが準備した『姉妹の集い』が実施されました。参加された方が、姉妹たちの的確な準備と奉仕に励まされ、とても良い学びと交わりだったと感謝し喜んでいました。
1.ただ受けるだけではなく
パウロのこの手紙は、ピリピの教会の献げ物に対する感謝の喜びから発信されたのです。日本の教会では献金の話をすると躓く人がいるとよく言われます。しかし、ピリピの教会は極度の貧しさの中にあったにも関わらず、惜しみなくパウロに感謝し、主に献げていたのです。(IIコリ8:1-11)マラキ書に「10分の1をもって、わたしを試してみよ」とあります。
2.主にあって積極的に
先週、スーパームーンが夜空を飾りました。私はそれを見て詩篇8篇を思い巡らしていました。それは、万物を造られた偉大な神が私を愛してくださっているからです。その神である主を覚え「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる」と大きな力をいただいているのです。受けるよりも与える恵みを覚えます。
3.主の恵みの豊かさ
「私はすべての物を受けて、満ちあふれています」(v.18)パウロは、「どんな境遇にあっても満足することを学んだ」(v.11-12)と言い、主の豊かさの中にあって、福音のために積極的に生きる確信を、喜びを持って述べているのです。私たちはキリストの栄光のうちに生きているのです。
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