ダビデの大罪に学ぶ

ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。」第二サムエル12章7節

 まずは、箴言の16章2節を心に留めましょう。「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる」とあります。私たち人間は、気付かぬうちに自分のことを棚に上げて、人の失敗や弱さを中傷し、自分の正しさを主張する傾向があります。目が自分の内側に向いている人は幸いです。それはまさに心の貧しい者は幸いです」と仰せられた主の祝福です。昨日の通読箇所の11章からは、ダビデの大失敗と大罪が如実に記されています。『みことばの光』の執筆者は、「姦淫、偽り、欺き、殺人教唆、略奪など、坂道を転がり落ちるように周囲を巻き込んだ大罪を犯した」と記しています。それは私たちの内にも起こりうることです。今朝は、このダビデの大罪から自らの信仰について考えさせていただきたいと願っています。

1.神の栄光を踏みにじる罪
 ダビデには神の永遠の世継ぎとしての栄光が約束されていました。7章12-16節には、ダビデの世継ぎによって、永遠の王国が確立されるという壮大な祝福が記されています。救い主キリストの誕生を彷彿させます。これほど神に愛され、自身も誠実で神に忠実であったダビデが、ちょっとした油断でタガが外れ、情欲に溺れ、罪に罪を重ねてしまうのです。
 一般社会なら、権力者ならこれくらいはと思われるところですが、神の前には見過ごされない大罪なのです。

2.あなたは、なんということを
 サウルが失敗をした時、サムエルが「あなたは、なんということをしたのか」(1サムエル13:11)と叱責しました。ナタンもまたダビデの前に出て、同じことを言ってもよいはずです。しかし、サウルの霊的な罪とは違い、ダビデの場合は犯罪に犯罪を重ねた重罪であり、倫理的、かつ律法をぶち壊すほどの重大な罪なのです。
預言者ナタンは一つの例えを話し、ダビデの罪を指摘するのです。

3.ダビデの大罪に学ぶ
 ダビデがそうであったように、私たちは自分の罪をさしおいて、人の失敗や罪を指摘します。主が人々に向かって、「あなたは、兄弟の目のちりに目をつけるが、自分の目の中に梁には気づかない」(マタイ7:3)と言われました。後のダビデの徹底的な悔い改めこそ、私たちがキリストの十字架の前に成すべきことです。ここにキリスト者の生き様があるのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

あすなろ福音キリスト教会 牧師

日本福音キリスト教会連合(JECA)
あすなろ福音キリスト教会 牧師
青森県十和田市生まれ
近畿大学商経学部卒&聖書宣教会(神学本科卒)

コメント

コメントする

目次
目次
閉じる