聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」ルカ3章22節
[聖書]ルカ3:1〜22
先週は、バプテスマのヨハネと主イエスの不思議な誕生と、その経緯についてお話ししました。その中で、強調したのは、「神にとって不可能なことは何もありません」ということと、マリアの「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」との純真で素晴らしい信仰でした。
私たちは自分を取り巻く現実とその状態から自分で結論を出してしまうことがしばしばです。しかし、全能の神が事を行うときには、いつでも奇跡がともなうことを覚えさせられるのです。
先週、愛と私はインフルエンザに罹患し、最悪の状態でしたが、夜中うなされている間中、天からみことばのブロックが降りてきて、その中央に光り輝く中心聖句を確認させられたのです。それで私が感じたことは、「ああ、私は神さまに愛されている」という実感でした。今私たちは、ルカの福音書を通読して、キリストの誕生とその意味について学んでいます。この福音書の著者ルカは、医師であり、歴史家でもありましたから、彼が書いた書簡の要所には、時代背景が明確に記されています。今日は主の宣教の道備えをしたバプテスマのヨハネから学ばせていただきます。
1.パプテスマのヨハネの宣教
ヨハネの宣教開始の時代背景が1〜2節に記されています。そこには皇帝、総督、領主、大祭司など当時の権力者の名が連ねられています。彼は来るべきメシアの先駆者として、荒野に道を整えるべく登場するのです。それは、「あらゆる人々が、神の救いを見るようになる」という救いの普遍性を明らかにすることであり、それが「悔い改めのバプテスマ」なのです。
2.入会の儀式としてではなく
ヨハネの登場は、「荒野で叫ぶ者の声がする」という、預言者エリヤのような風貌でした。(cf.マルコ1:6)人々は、もしやこの方がメシアではあるまいかと思っていました。彼らは我先にと洗礼を受けようとするのですが、ヨハネは、具体的な悔い改めの実を結ぶようにと彼らに教えるのです。
3.ヨハネがキリストを示される
15節以降にそんなに多くのことは記されていませんが、ヨハネがキリストの権威について語り、自分はその履き物のひもを解く資格もないと自らのことを言うのです。キリストが聖霊と火でバプテスマを授けるとは、それはキリストがきよめとさばきを行われるという意味です。またそれは五巡節のときの聖霊降臨をも指しています。
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