「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21)
キリスト者の価値観はどこにあるのでしょうか。今朝のみことばは、そのことが問われています。キリスト者といえども、その心が、地位・名誉・財産・快楽など、この世の世俗的な価値観に押し流されてしまうことがあります。それは現代におけるキリスト教大国家においてもそうですし、旧約聖書を見れば、まさに神の民イスラエルがそうでした。旧約の預言者たちは、そんな民たちに対して「偶像から立ち返り、天地創造の唯一絶対の神に信頼せよ」と叫び続けましたが、結局のところ、彼らは神の声に聞き従うことなく、バビロン捕囚によって、イスラエル国家は滅亡してしまうのです。私たちの信仰は、神のことばを正しく理解し、それを自らの生活(生き様)に適用することです。今朝の聖句が『主の教え』の文脈の中にあることを覚えれば、神のみこころが、この地で行われることが私たちの祈りと希望であることを覚えるのです。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2025.11.20)


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