神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(2コリント1:4)
ある人は、「人生は苦痛の連続」と言います。一生懸命、真面目に生きても、それが報われず、喪失感に陥ることがしばしばあります。しかし、私たちには、キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちたお方がともにおられるのです。パウロはこう続けます。「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」(v.5)と。キリストの苦難は、私たちを罪の苦しみから救い出し、キリストにある新しいいのちへと導くためなのです。なんと素晴らしい愛と恵みでしょう。私自身、今も自らの弱さのゆえに失敗し、失意落胆することがあります。しかし、そのようなときに、ジワーっと心にあふれ出るのが主の慰めです。数年前、「僕の中に君がいる。君の中に僕がいる。そして僕たちみんなの中に幸せがある」と、『幸せのうた』を作詞作曲したとき、その原意が主の慰めを覚えて歌ったのを思い出します。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2025.1.16)
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