“ 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。”(1ヨハネ4:10)
私たちは今、アドベントの第二週を過ごしています。世界は今、前代未聞の出来事が相次いで勃発し、いつ私たちに飛び火してもおかしくない様相を呈しています。「クリスマス」、それは、神が、私たち人間の罪を贖うための「宥めのささげ物としての御子」(His Son as an atoning sacrifice for our sins.)の誕生を覚えるときです。天地万物を創造された偉大な神が、私たちを罪の滅びから救い出すために、御自身のひとり子を私たちの犠牲としてこの世に与えてくださったのです。使徒ヨハネは「それによって神の愛が私たちに示された」と述べているのです。私たち自身、この偉大な神の尊い犠牲の前に、どれだけ宥めの犠牲をささげているでしょうか。「私は大丈夫」という慢心こそ、神を悲しませる最も大きな罪になることを覚えたいと心から思います。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2024.12.12)
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