「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。(1コリント13:2)
これは、『愛の章』と呼ばれる有名な使徒パウロのことばです。キリスト者であれば、誰でも捕まえて投獄するという意気に燃えていた迫害者サウロが、キリストとの出会いによって、神の愛を世界に伝える宣教者に変えられるのです。有名なパスカルの『パンセ』の中に「神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう」とあります。ただ知っていると言うのと神を愛し、その愛に生きるのとでは雲泥の差があります。教会の迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられたパウロに何があったのでしょう。それは、十字架の死と復活のキリストによる神の愛をパウロ自身が、自分のこととして知り、受け入れたことにあるのです。元落ちこぼれボクサーで不良だったこの私も、この神の愛によって変えられ牧師とされたのです。
*「アントニオ」とはラテン語で大変貴重なものという意味 (2024.7.11)
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